雑記
九 sifuku展示会を終えて
三月二〇日から始まった洋裁家sifukuの展示会も三月三一日をもって終了しました。
洋裁家の展示会ではあったが、衣服は一着も置きませんでした。
最初はそれがどういうことになるのか、どういう意味があるのか、見に来られた方々がどう思うのか分からなかったけれど、結果として、衣服を置かなくて良かったと思っています。
衣服は「着る」という用途があります。だから、衣服を目の前にして、好みかどうか、似合うかどうか、値段はいくらか、などなどを考えるのは当たり前のことだと思います。だけど、それが「みる」ことを邪魔している要素にもなります。
今回の展示会は二〇二〇年から二一年の頭にかけてオーダーをしていただいたものを依頼主の方に着用していただき、写真撮影をしました。依頼主の九割は女性でした。そして唯一の男性は五歳でした。
となると、衣服を実際に展示したとしても、女性の衣服や子供服しかなければ、「自分にはあまり関係ないかな」と流されてしまったのではないかと思うのです。もしくはオーダー会のような状態になってしまい、そうなると気分は高揚して冷静に「みる」ということができなかったのではないかと。
写真だけを展示することで、誰もがsifukuの衣服を「みる」ことができたのではと思います。
そして、sifukuの展示を経たことで月白展示室の「みつめる場」としての純度が増した。これを機に、もっと純度を濃くし、「みる」「みつめる」ということを問うていけたらと思います。