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七 高島野十郎を観て

2021.03.02

久留米市美術館で開催中の高島野十郎展を観てきました。

僕は高島野十郎が好きです、絵も、伝え聞く人模様も。

高島野十郎の絵を今更僕が解説するまでもないのだけれど、野十郎は花ひとつを、砂一粒を、人と同じに観、描いた。

それは彼のもつ宗教観や哲学に基づくものだし、細部へ目を凝らし、全てを均等に観ることで中心へのこだわりを放棄している。それゆえに描かれた絵には空気まで描いているんじゃないかと思わせる。そしてそれは実際に見えている以上のものを絵によって見せてくれている。

絵に混じって野十郎自身が書いていた手帖《遺稿ノート》に遺された言葉が書き出されていた。その中に藝術について書かれた一文にはっとした。

野十郎は藝術についてこう遺していた。

『藝術は深さとか強さとかを取るべきではない、「諦」である.』

この言葉がどういう意味なのかということは解説されていなかったけれど、わかるような気がした。

以下は僕の勝手な解釈ですが、藝術とはそもそも自然に対して人間が生き抜くための技藝であり、宇宙全体、自然、を絵の師としていた野十郎にとって、それに対して自分の存在の圧倒的な小ささに、どうやっても敵うことはないという諦めを認めなければいけなかったのではないか。そんな大きなものに人間の技藝の深さや強さを問うても意味のないこと。しかしそれでも描かなければならないというやるせなさから出た言葉ではないかと思うのです。

作品の対象としている宇宙全体、自然を人間の卑小な欲やその欲求の解消のために都合良く対象を道具にしない姿勢。野十郎、いいなと改めて思いました。

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