雑記
一四 尹 雄大「つながり過ぎないでいい」

取り扱い書籍のご案内もかねて。
尹雄大著「つながり過ぎないでいい」
壊されながら読みました。自分の価値観や概念がことごとく、ぐらぐら揺れて、崩れていく。書いていることはわかる。たしかに読める。読んでいる。でもわからない。だけどおもしろい。だからおもしろい。
『多くの人は最後まで話を聞かれた経験が極めて乏しいことだ。共感を示されることは常にある。けれど、「わかる」という身振りが話の途中で挟まれることに内心は興醒めしている。…小説を要約することが、その作品を味わうことと程遠いように、やはり話は聞かれていない。…自分を相手に投影しているだけだ。』(「つながり過ぎないでいい」69頁より)
ドキッとする。頷くこと、共感することはポジティブな行為だと思っていた。「わかる」とつい言ってしまう。それはでも、本当に「わかって」いるのか。自分の尺度でしか話を聞いていないだけじゃないのか。それと、たしかに話を最後まで話し終えたことがもしかしたらないかもしれない。話をしだすと、話した内容や単語に反応した相手が途中から話しはじめることはよくある。僕は大抵の場合、その話はもう諦めるか、相手が話し終えた時にもう一度話しなおすチャンスがあれば話し直す。話があちらこちらに飛んでいくことはよくある光景だ。それが故に思わぬ方向に着地しておもしろさを感じることも多々ある。だけど、それぞれが最後まで話し終えることが出来たら、聞き終えることができたら会話はどうなるのだろうか。会話が、関係値が、新しいフェーズに入っていくような気がする。なるべくそのように会話ができればなと思う。
この話はこの本に書かれていることの本の一部をただ抜き出して話しただけに過ぎない。書籍の案内をしたいのだけれど、この本をこういう本ですと言えない。だから読んでいただきたいなと強く思います。
